人気ブログランキング | 話題のタグを見る

こどもの顔

おととい、フェアリーちゃんの家に遊びに行った。

赤ちゃんのミュウちゃんはだいぶ大きくなっており、もう9ヶ月。
前に行った時はひたすら床を転げ回っていたが、今回ははいはいとつかまり立ちだ。

私とフェアリーちゃんがごはんを食べ始めると、はいはいをしてテーブルに近づき、私の膝につかまり立ちをしてのびあがり、自分も食べたいとせがむし、食べさせてもらうとどんどん食べて、フェアリーちゃんのごはんを3分の1食べた上、モンブランを1個まるごと平らげてしまった。

私は不思議とこのミュウちゃんに好かれているようで、抱っこしても泣かれたことがない。結構ゴキゲンで私と遊んでくれるので助かる。

その日、私はボタンがいっぱいついた服を着ていった。ストレッチ素材のパンツは裾と後ろポケットにボタンがあり、赤ちゃんが好きそうな鮮やかな緑のカットソーの肩口から袖にかけて、一定間隔でボタンが一列に並んで縫いつけられていた。

「最近この子、ボタンが大好きなんだよね〜。リモコンとか取っちゃうんだよ」

とフェアリーちゃんが言うだけあって、私の服に対するミュウちゃんの関心はすごかった。

ミュウちゃんは私の膝につかまり立ちしては、後ろポケットのボタンやら、私のカットソーのボタンやら、パンツの裾のボタンやら、それぞれのボタンを小さな手でいじくって遊んでいた。
楽しいのか、座っている私のももに口をぺったり当てて声を出したりして笑っていた。身内でもない私のももを甘噛みみたいに歯のない口でくわえたりして、どうやらミュウちゃんは本格的に私に心を許しているらしい。

「この子、rendayaちゃんのことは大好きだから。いつもニコニコして遊んでるよね」

とフェアリーちゃんは言う。そういわれると、甥っ子のキュアよりもミュウちゃんの方が私に対して警戒心がないのは確かだ。

それにしても。
姪のショアや甥のキュアと普段接して慣れてしまったせいか、私は本当に赤ちゃんに慣れたようだ。抱っこも上手にできる。

こどもと一緒にいていつも思うが、疲れていても小さいこどもと一緒にいると、何だかパワーをもらえるような気がする。
他人に素直に感情をあらわにするこどもの姿には、いつもはっとする。表情豊かで、感情を隠さない。好きなら好きな感情を全身で表現してくれるから、裏を読む苦労がなく、並はずれた生命力は私に、もう私がなくしてしまったものを思い出させてくれる。

とても元気になって家に帰った。

----
最近、ドラマや映画に小さな女の子が出てきて泣いていたり、苦しんで死んでしまったりすると、全部姪の顔や声に見えていても立ってもいられなくなる。胸をえぐるように悲しくなって、涙が止まらなくなるのだ。

前に、原爆のせいで小さな娘が家の下敷きになり、それでもまだ生きていてがれきの下から自分を呼ぶのに、自分が生きるために見捨ててしまったという母親の話をテレビで見た。
「お母さん行かないで、助けて、おいてかないで」と繰り返し泣きながら叫ぶ女の子の声が姪の声に聞こえ、とても見ていられなかった。

今日もごはんを食べながらテレビをつけたら実写ドラマの「火垂るの墓」をやっていたのだが、ちょうど節子が栄養失調で衰弱しきっていく場面を見てしまい、全くごはんが食べられなくなってしまった。
できることなら画面に入っていって、私の目の前に並んだ夕飯やうちにあるパンやクッキーやジュースを全部あげて助けてあげたい、という気持ちで非常に苦しく、たまらなかった。
もしこれが姪のショアだったらと思うと涙が止まらなくなった。

こどもが身近にひとりでも存在するようになると、こどもが傷つけられた話は聞いていられないくらいの痛みで感じられるようになるということを、姪のショアが生まれて初めて知った。

画面の節子の顔がショアの顔に見え、節子の声がショアの声になって聞こえてしまう。

私もすっかり、おばちゃんだな、と思う。

by rendaya | 2005-11-02 01:13 | ひとり暮らし

<< 舞台の違い たったひとつ >>